2011年9月14日水曜日

2011ナショナルトレセンU-12 ─関東─夏

2011ナショナルトレセンU-12 関東メンバー


№ ポジション 氏名 生年月日 身長 体重 所属チーム 学年 都道府県


01 FP 阿須間 貫太 19990517 157 43 FC北浦 小6 茨城
02 FP 西廣 洋介 20000128 142 32 フットボールクラブ波崎 小6 茨城
03 FP 岡安 優 19990720 145 35 古河SS 小6 茨城
04 FP 常松 祐星 19990515 148 40 古河SS 小6 茨城
05 FP 富山 隼 19990718 143 33 古河SS 小6 茨城
06 FP 仲上 悠音 19990525 153 46 古河SS 小6 茨城
07 FP 長谷川 隼平 19991110 135 30 千代田サッカー少年団 小6 茨城
08 FP 菅谷 晃平 19990508 155 42 那珂フットボールクラブ 小6 茨城
09 FP 細谷 樹 19990413 142 33 吉田ヶ岡サッカースポーツ少年団 小6 茨城
10 GK 石川 頒悟 19990708 153 40 那珂フットボールクラブ 小6 茨城

11 FP 酒井 綜一郎 19990405 146 36 バディーサッカークラブ 小6 神奈川
12 FP 藤田 一途 19990630 152 38 特定非営利活動法人あざみ野FC 小6 神奈川
13 FP 松井 康輔 19990726 161 46 3BSC 小6 神奈川
14 FP 本山 鐘現 19990630 150 37 特定非営利活動法人あざみ野FC 小6 神奈川
15 FP 橋本 新生紀 19990605 145 37 菅FC 小6 神奈川
16 FP 浦川 流樺 19990608 145 32 足柄フットボールクラブ 小6 神奈川
17 FP 佐々木 龍生 19990705 140 32 林サッカークラブ 小6 神奈川
18 FP 岩崎 駿 19991106 148 34 リトルジャンボサッカークラブ 小6 神奈川
19 GK 尻無浜 竜太 19990413 160 45 林サッカークラブ 小6 神奈川
20 FP 西山 大雅 19990824 156 40 FC六会湘南台 小6 神奈川

21 GK 瀧澤 蓮 19991108 153 45 平井JFC 小6 群馬
22 FP 堤 寿輝 19990622 158 45 芝根リトルスター 小6 群馬
23 FP 堀越 竜成 19990531 145 39 前橋荒子フットボールクラブ 小6 群馬
24 FP 松田 陸 19990503 141 31 美土里サッカークラブ 小6 群馬
25 FP 田部井 涼 19990625 145 39 図南サッカークラブ前橋 小6 群馬
26 FP 桐生 浩太 19990412 144 32 前橋ジュニア 小6 群馬
27 FP 青木 大和 19990902 150 38 ジラーフ赤堀SCジュニア 小6 群馬
28 FP 森口 滉平 20000106 146 38 J・Oフットボールクラブ 小6 群馬
29 FP 岡田 将英 19990509 160 41 フットボールクラブ碓東ジュニア 小6 群馬
30 FP 大原 彰輝 19990828 154 42 芝根リトルスター 小6 群馬

31 FP 品田 愛斗 19990919 149 36 レジスタFC 小6 埼玉
32 FP 白田 颯人 19990512 140 33 レジスタFC 小6 埼玉
33 FP 山崎 舜介 19990519 143 37 越谷サンシンサッカースポーツ少年団 小6 埼玉
34 FP 中村 一貴 19990821 138 30 1FC川越水上公園 小6 埼玉
35 FP シマブク カズヨシ 19990729 145 31 NPO法人東松山ペレーニアFCジュニア 小6 埼玉
36 FP 山下 勇希 19991028 138 32 プログレッソサッカークラブ 小6 埼玉
37 FP 菊池 泰智 19990507 136 34 浦和辻サッカー少年団 小6 埼玉
38 FP 大西 翔也 19991007 150 39 NEOS Football Club 小6 埼玉
39 GK 高草木 天平 19991008 161 50 浦和大門サッカー少年団 小6 埼玉
40 FP 小林 純 19990617 157 46 深谷サッカースポーツ少年団 小6 埼玉

41 FP 中川 創 19990601 163 44 市川フットボールクラブ 小6 千葉
42 FP 高坂 龍之介 19990513 157 46 ペガサスジュニアフットボールクラブ 小6 千葉
43 FP 古川 大悟 19990915 155 45 長生FC 小6 千葉
44 FP 木村 隼人 19990430 147 36 バリエンテオンセフットボールクラブ 小6 千葉
45 FP 森 大輝 19990410 144 32 市川K・IFC 小6 千葉
46 FP 榎本 啓吾 19990905 142 32 市川中央リトルキッズ 小6 千葉
47 FP 深川 大輔 19990602 161 42 幸町サッカー少年団 小6 千葉
48 FP 吉田 和拓 19990429 150 45 矢切サッカークラブ 小6 千葉
49 FP 山田 葵士 20000122 145 35 レイソルサッカースクール長生U-12 小6 千葉
50 GK 鈴木 歩 19990619 147 37 FCウーノ木更津 小6 千葉

51 FP 塩澤 隼人 19990418 155 40 バディサッカークラブ 小6 東京
52 FP 梶野 航平 19990729 140 35 クリアージュフットボールクラブクリアンサ 小6 東京
53 FP 長谷川 光基 19990427 152 38 FC春江 小6 東京
54 FP 石塚 海 19990628 152 41 ジェファフットボールクラブ 小6 東京
55 FP 小林 真鷹 19990713 149 35 サンデーサッカークラブ 小6 東京
56 FP 小林 粋 19990728 163 53 東京・清瀬VALIANT 小6 東京
57 FP 杉山 伶央 20000304 134 26 白百合サッカークラブ 小6 東京
58 GK 和田 侑大 19990614 157 44 白百合サッカークラブ 小6 東京
59 FP 小林 幹 19990427 157 44 多摩平ジュニアサッカークラブ 小6 東京
60 FP 原 大智 19990505 158 41 多摩平ジュニアサッカークラブ 小6 東京

61 GK 青木 誠 19991214 155 43 KSC鹿沼 小6 栃木
62 FP 本多 亨輔 19990407 164 47 阿久津サッカークラブ 小6 栃木
63 FP 森 心耶 1999 0510 162 50 高根沢西フットボールクラブ 小6 栃木
64 FP 赤澤 蓮 20000314 145 38 栃木サッカークラブジュニア 小6 栃木
65 FP 荒井 克己 19991227 135 32 宇都宮北部FCトレ 小6 栃木
66 FP 金澤 礼弥 19990610 150 34 FCアネーロ宇都宮・U-12 小6 栃木
67 FP 和氣 昌平 19990624 151 35 昭和・戸祭サッカークラブ 小6 栃木
68 FP 齋藤 雅之 19990821 126 23 エスペランサMOKA 小6 栃木
69 FP 早乙女 達海 19990622 151 36 都賀クラブジュニア 小6 栃木
70 FP 桧山 悠也 19990910 150 43 栃木サッカークラブジュニア 小6 栃木

71 FP 桑田 龍虎 19991005 137 30 Uスポーツクラブ 小6 山梨
72 FP 桑原 直也 19990827 165 54 Uスポーツクラブ 小6 山梨
73 FP 竹川 忠我 19991127 143 33 Uスポーツクラブ 小6 山梨
74 FP 塚田 裕介 19990609 140 37 Uスポーツクラブ 小6 山梨
75 FP 雨宮 慶伍 19990427 155 37 中央湯田ジュニア 小6 山梨
76 FP 須賀 佑 19991004 142 30 ふぉるとぅなサッカークラブU-12 小6 山梨
77 GK 三枝 蒼 19991015 153 37 八田サッカースポーツ少年団 小6 山梨
78 FP 秋山 友作 19990408 164 53 韮崎スポーツクラブ 小6 山梨
79 FP 入間川 景太 19990520 153 37 ヴォルケーノ富士吉田ジュニアサッカークラブ 小6 山梨
80 FP 佐藤 颯 19990827 148 39 CSCルーデンス 小6 山梨



※JFA公式サイトの記載ママ(なぜに片仮名?)

以上

あしなが育英会 東日本大震災 津波遺児 単発寄付

2011年9月13日火曜日

2011U-13日本選抜メンバー

JFAエリートプログラムU-13(U-13日本選抜) トレーニングキャンプ (9/15~19)



◆【スタッフ】
監督
木村 康彦 キムラ ヤスヒコ KIMURA Yasuhiko
【(財)日本サッカー協会ナショナルトレセンコーチ】

コーチ
猿澤 真治 サルサワ シンジ SARUSAWA Shinji
【(財)日本サッカー協会ナショナルトレセンコーチ】

GKコーチ
望月 数馬 モチヅキ カズマ MOCHIZUKI Kazuma
【(財)日本サッカー協会ナショナルトレセンコーチ】


◆【選手】
選手名 フリガナ アルファベット表記
生年月日 身長 体重 所属

GK
鶴田 海人 ツルタ カイト TSURUTA Kaito
1998.04.16 173 cm 65 kg ヴィッセル神戸伊丹U-15

渡辺 優三 ワタナベ ユウゾウ WATANABE Yuzo
1998.05.24 167 cm 60 kg 川崎フロンターレU-15

FP
中尾 慶心 ナカオ ケイシン NAKAO Keishin
1998.01.11 164 cm 54 kg 徳島ヴォルティスジュニアユース

阿部 雅志 アベ マサシ ABE Masashi
1998.03.07 160 cm 54 kg FC四日市ジュニアユース

川尻 龍司 カワジリ リュウジ KAWAJIRI Ryuji
1998.03.17 165 cm 54 kg コンサドーレ札幌U-15

佐々木 匠 ササキ タクミ SASAKI Takumi
1998.03.30 158 cm 48 kg ベガルタ仙台ジュニアユース

川原田 湧 カワラダ ユウ KAWARADA Yu
1998.04.05 149 cm 40 kg 横浜F・マリノスジュニアユース

高 宇洋 コウ タカヒロ KO Takahiro
1998.04.20 160 cm 47 kg 川崎フロンターレU-15

川上 エド オジョン智慧 カワカミ エド オジョン チエ KAWAKAMI Ed Ojohn Chie
1998.04.21 150 cm 41 kg 浦和レッズジュニアユース

西田 一翔 ニシダ カズト NISHIDA Kazuto
1998.04.28 151 cm 44 kg ガンバ大阪ジュニアユース

東野 広太郎 ヒガシノ コウタロウ HIGASHINO Kotaro
1998.06.10 176 cm 58 kg エスポワール白山FCジュニアユース

岩崎 悠人 イワサキ ユウト IWASAKI Yuto
1998.06.11 152 cm 45 kg JFAアカデミー福島

西本 卓申 ニシモト タカノブ NISHIMOTO Takanobu
1998.06.12 148 cm 35 kg アルバランシア熊本FC

堂安 律 ドウアン リツ DOAN Ritsu
1998.06.16 159 cm 53 kg ガンバ大阪ジュニアユース

イヨハ 理 ヘンリー イヨハ オサム ヘンリー IYOHA Osamu Henry
1998.06.23 159 cm 48 kg FCフェルボール愛知

崎村 祐丞 サキムラ ユウスケ SAKIMURA Yusuke
1998.06.27 165 cm 48 kg アビスパ福岡U-15

中間 俊亘 ナカマ タカヒロ NAKAMA Takahiro
1998.07.03 153 cm 43 kg サンフレッチェ広島ジュニアユース

飛鷹 啓介 ヒッタカ ケイスケ HITAKA Keisuke
1998.08.21 153 cm 40 kg ソレッソ熊本/JFAアカデミー熊本宇城

渡辺 皓太 ワタナベ コウタ WATANABE Kota
1998.10.18 152 cm 42 kg 東京ヴェルディジュニアユース

常本 佳吾 ツネモト ケイゴ TSUNEMOTO Keigo
1998.10.21 160 cm 46 kg 横浜F・マリノスジュニアユース


◆【スケジュール】
9月17日(土)10:00 トレーニングマッチ 対 星稜中学校
9月19日(月)10:00 トレーニングマッチ 対 石川県U-15トレセン


◆【参照】
2010u12トレセン
エド選手の旅立ち
2011レッズu13選手リスト
レッズエド選手画像
朝日新聞のエド選手記事

あしなが育英会 遺児奨学金「あしながさん」 継続寄付

2011年9月5日月曜日

ザック氏の3バック

現役時代は「ブラックエンジェル」「見えないひじを持つ男」「サッカーができる若頭(わかがしら)」「さわやかテロリスト」との異名を馳せた福西現NHK解説者と、現日本代表不動のボランチ遠藤選手の対談です。

遠藤選手が、ザッケローニ監督の3バック戦術について説明しています。
(ガンバTVより)


http://youtu.be/tg8VqMV6gvQ
(動画の埋め込みができませんでした)



遠藤選手が語った内容から、ザッケローニ監督が求める“343”がどういう戦術なのかをざっと推察してみます。

従来の3人のセンターバックによる3バック戦術と異なって、ザック監督の3バックというのは、4バックにおけるサイドバックがサイドハーフの役割もこなす、というもののようです。
でもそうかといって、5バックの両サイドバックが、時には攻撃にも参加するというような岡田俺解説は得意なんだよね武史氏の実質5バック型の3バックとはまったく違います。
ザック監督の3バックは、3バックの3人がセットを保ったまま振り子のように左右へ移動し、それによって空いたサイドを同サイドのハーフがカバーするというもののようです。ただしこの場合でも、サイドハーフは、安易にDFラインへ吸収されることのないよう、高度なリスク判断が求められるみたいです。つまり、リスクの危険度に応じて、ポジションの調節をする(例えば、リスクが低ければ高い位置を保ち続ける、みたいな)ってことです。
これって当たり前みたいに思えますけど、遠藤選手の話では、ボランチも前線の選手も、サイド地域のカバーは求められていないらしいので(前線の選手も、以前の日本代表のような、強烈なプレスは求められていないそうです)、両サイドに1人ずつ配置されるハーフの選手は相当頭も体力も使うことになるでしょう。それに「勇気」も!
心理的には、大事な試合になればなるほど、ギリギリの展開になればなるほど、安全ゾーンを多めに見積もって低めにポジションを取りたくなるものです。裏を取られたら全て自分の責任になりますから。でもそこを高めに取れ! っていうのがザック氏の戦術のキモ。これ、勇気いりますよね。監督も、本人も、周りも。
テレビの画面からも、常に逆サイドはガラガラに見えるんでしょうね。松木氏のような解説者が「危険だ! 危険だ!」などと大騒ぎするのが、今から見えるようです。


この戦術の一端を私なりに理解したところで言うと、ザック監督は「前でボールを奪うこと」を求めていない、ということなのでしょう。
ボールのあるサイドのDFライン+ボランチによって形成したブロックでボールを奪い、それを逆サイド方向へ早く動かすことでダイナミックに攻めたい、みたいなイメージなのではないでしょうか。

これがうまく機能すれば、とても効率的に守備と攻撃をリンクさせることができます。
問題は、非常に高度な頭脳と体力を要求される両サイドの選手を2人確保以上確保できるのかどうかなのですが、それは長友選手と酒井(柏)選手の成長次第ということなのかもしれません。

追伸 内田選手は、いまのままなら、日本代表には、いらないのではないでしょうか。

あしなが育英会 東日本大震災 津波遺児 単発寄付

2011年9月4日日曜日

8月中旬の被災地状況─その5─ 岩手県釜石市&まとめ

岩手県釜石市の三陸鉄道南リアス線の高架です。


震災直後は、こんな様子でした。

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釜石市は、想像していたよりも“狭いなあ”という印象でした。海に向かった谷間の街というような地形で、有名な新日鐵の製鉄所も無理矢理そこへ押し込んだような立地にありました。


写真の右手前中寄りにあるのが新日鐵です。
上にあげた高架の写真は、写真中央の、道路でできた三角形の河川側底辺の真ん中あたり(河口の橋のやや上流)から海方向を向いて撮影しました。


釜石製鉄所で生産していたのは、自動車関連部品(タイヤ他)に使われるワイヤーとか、建築資材向けの鉄筋鉄棒針金なんからしいんですけど、それらも震災後は室蘭製鉄所や千葉の君津製鉄所へ移して生産しているそうです。
室蘭や君津の両工場は被害も浅かったということなので、移転した生産ラインが再び釜石へ戻ってくることは、もうないのかもしれません。たぶん。

釜石製鉄所の石炭火力発電設備の能力は、岩手県の一般家庭電力を40%程度をまかなえるものらしいので、今後はそっち方面で利用されることになるのでしょう。

ただ発電所は、製鉄所と比較にならないくらい独立性の強いプラントですから(産業としてのすそ野が狭いってことです)、地域経済は縮小せざるを得ません。

仕事が減るから労働人口が減る、のか、労働人口が減るから仕事も減る、のか──。

【参照】
震災前の釜石市

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【まとめ】



岩手県の三陸沿岸を宮古市田老地区から釜石市まで南下して来てわかったのは、この土地に古くから暮らす人々、それこそ十何世代にもわたって暮らしてきたような人々は、おしなべて山側の集落で暮らしているということでした。
まあ、この沿岸へは何度も何度も大津波が押し寄せているわけですから、生き残れば生き残るほど、自然とそういうことになっていくのでしょう。
ではなぜ、これほどまでの人々が沿岸部へ家屋を建てて生活するようになったのかを考えると、どうしても国家の影が濃く見えてきてしまうのです。
戦前の富国強兵期に、山に囲まれた水深の深い入江で構成される三陸のリアス式海岸は、天然の要塞として国家=軍部に目をつけられたのではないでしょうか。
沿岸に基地や造船所を建設し、製鉄所や発電所を建設し、そこに街を造り、人を住まわせた。
戦争が終わり、軍がなくなると、その設備は公や民間のものとなって社会が回り始める。そんな日々が当たり前のように繰り返されるうちに、そこで暮らす人々はなぜそこに街ができたのかをいつしか忘れてしまった。

三陸のリアス式海岸線へ軍港を建設する必要のない現在、もう一度この地域に港湾インフラや重工業インフラが整備されることは、何か特別な事情が再び生じない限り、厳しいような気がします。
もともとこの地域は、今回の震災がなかったとしても厳しい経済環境にありました。その理由は、戦後無料で利用できるようになった旧軍関連の大型公共投資による“貯金”を使い果たしてしまったから、だろうと私は考えています。

かろうじて可動していた港湾設備や鉄道、工場もこの度の震災によって破壊され、この沿岸地域の産業インフラは富国強兵時代以前に近い状態となってしまったのかもしれません。

この地域にまた巨大な堤防を設置したり、同じような鉄道を引き直したりするというのは、いかがなものかと私は思います。
この地域の将来につながらないどころか、マイナスの効果しかもたらさないと思うからです。
巨大な堤防を作るくらいなら、逆に、時代劇の撮影にも耐えられるくらいに美しい海岸線を回復させるべきだろうと思うし、鉄道を引くなら世界中の観光客を呼び込むことを考えた「失われた光景」「郷愁」といったものを意識した設計にすべきだろうと思います。

どんなに巨大な堤防で囲ったとしても、漁業に若者は魅力を感じません。巨大なコンクリートで囲われた街はまるで刑務所みたいで、そんなところでの暮らしに魅力を感じるファミリーはいないし、積極的に住もうとも思いません。そこで働くことで、他での何倍もの収入を得られるとかいうのなら、そこで生活する理由にもなるでしょうけど、逆に収入が全国平均をかなり下回るとかいうのでは、誰も戻っては来ません。あげく、夏は短く、冬も厳しいとかいうのでは……。

個人的な結論をまとめれば、この地域のストロングポイントは、美しい海岸線なのです。安い海産物じゃあありません。円高+TPPが当たり前の経済環境になったら、もっともっと安い海産物がどかっと輸入されます。そうなったときに政府へ泣きついても、どうにもなりません。手遅れです。といいますか、日本の漁業に好況が訪れる日は来ないでしょう。少なくとも、“野生生物”である海棲生物をタダで捕りまくり、量によって収益を得てきたような漁業には、未来はありません。マジで。

この地域へ人々が戻ってくるためには、身近な小さな仕事を誠実に向上させる暮らしを積み重ねて行くしかないだろう、というのが私の結論です。
小さな商店、小さな農家、小さな漁師、小さな工場、それらがきっちり足元を踏み固めて行く。
遠回りに思えて、じれったく感じるかも知れませんが、それがこの地域の未来にとって最善の道だと、私は確信しています。


あしなが育英会 遺児奨学金「あしながさん」 継続寄付